2006年02月09日

[外伝]エピソードT バンドヲ・メザス

この物語は、アキレス星最高の指導者であり8年前に地球にて永眠された故・タピオカ星人元帥が生前書き記した自伝である。

 タピオカー。タピオカー。わーれらーのタピーオカー。

 こんにちは。登場早々タピオカ星人オフィシャル応援歌を歌わせていただいた。この章からは地球期のことについて話そうと思う。

 そもそも、他星から来たということは言っても、私が地球出身であるというところまではあまり公にしてこなかった。そのためこの自伝を読んでいるアキレス星民の諸君は少なからず驚きを隠せないと思う。タピオカ星人と言っているぐらいだからタピオカ星から来たとお思いかもしれない。しかしおそらく小6ぐらいで配られた星座早見表をお道具箱から出してきて見てほしい。タピオカ星なんてないのだ。これで90部は売れるだろう。さらに地球時代の生活や人となりを赤裸々に語ってしまうのだからお得である。95部ぐらいは売れるだろう。

 1958年、私は福岡県大牟田市に生まれ、小学校の途中からは神奈川県厚木市で過ごした。これも明かさなかったが、執筆している1998年時点で40歳を迎えるということである。ここまで公にしてしまってはあとは同じである。まずは略歴から綴っていこう。

 中学は厚木市と相模原市の学校に通った。高校は東海大相模高校。卒業後すぐに旅行代理店に就職し、2年間の勤務の後ひょんなことからアキレス星へ。1978年のことだった。その後の20年はエピソードWからYで語ったとおりである。

 今日はそんな地球期の高校時代までの話をしよう。青春時代はギターに明け暮れた。小学校高学年から中学生の多感な時期に、ビートルズが世界中を席巻しそして解散していったのを見ていたからだろう。一日中ギターと一緒だった。朝起きるのはギターの音色、歯磨きもギターなら食事もギターに盛り、ギターに乗って学校に通った。すき焼きにはしらたきの替わりに弦を入れたし、将棋やオセロはピックで指した。そこまでギターとともに過ごしていたのはクラスでも私だけだった。しかしそんな生活からか、練習はあまりできずにいた。

 高校に入ってからは、少しずつ演奏する練習にも取り組んでいった。バンドを組むことを目標にしていたのだが、なかなかいいプレイヤーたちは現れてくれなかった。

 「あーあ、しがない毎日だなあ。俺のギタープレイは最高なのに」
 「あらせいちゃん、帰ってたの」せいちゃんとは私のことである。
 「マミー。だって今日は短縮授業だぜ」
 「そう。あんたは放課後に遊ぶ友達もいないの?」
 「そんなもんこっちから願い下げだよ。つるむのは嫌いなんだよ」
 「あんたぐらいの年の頃はダディはねえ・・・」
 「ダディの話はいいよ!二言目にはダディダディって。どんだけダ行が好きなんだよ」
 「私だって五十音で話題を選んでるんじゃないわよ、でもダディはねえ・・・」
 「あーはいはいわかりました。ちょっと出かけてくるよ」

 外に出たはいいが別段行く当てもなかった。とりあえず駅前の繁華街を練り歩いていると、ふと電信柱に貼られたチラシが目に入ってきた。

 「香港ひとり19,800円」

 香港か・・・。ギターと何も関係はないが敬愛するジャッキー・チェンのいる街だ。その頃から「思い立ったが吉日」派の私は、その足で香港に向かった。これが今後の人生を大きく左右する旅行になることを、私はまだ知らなかった。
posted by Flyers at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | タピオカ星人自伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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